- 小川忠次郎夫妻
「忠次郎蔵」こと「旧小川忠次郎商店の店舗及び主屋」は、行田市内では5棟だけとなった、本格的な蔵造りの店舗(店蔵)の一つですが、昭和50年代半ばから住む人もいなくなり、長い間眠りについていました。
平成14年、歴史的建造物の再生・活用により、中心市街地の活性化を考えていた行田商工会議所がこの店蔵に注目し、翌年、行田市の補助を受けて改修・整備を行いました。
平成16年には、NPO法人「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」が設立され、この店蔵の管理・運営を行なうとともに、市内に点在する足袋蔵等の活用を核とした、まちづくりの提案・推進に動き出しました。忠次郎蔵は蕎麦屋として活用され、平成20年には蕎麦教室卒業生らを中心に、足袋蔵ネットワークから独立して、新たにNPO法人「忠次郎蔵」を設立し、現在に至っています。
また、行田市の足袋産業全盛期を象徴する建物の一つとして、市内で最初の国登録有形文化財となりました。
この建物は、足袋の原料を商っていた小川忠次郎商店の店舗及び主屋として、大正14年の棟上式を経て、昭和4年ころに完成したと伝えられています。
主人である忠次郎は、明治18年に現在の群馬県太田市に生まれ、成長して行田に移り、わずか15円の資金で明治40年に魚商を始めました。やがて、当時急成長の足袋産業に注目し、大正9年に足袋原料問屋小川忠次郎商店を開業、商才に恵まれた忠次郎は瞬く間に財を蓄えました。
その頃、近くに牧野本店が新しい店蔵(現足袋とくらしの博物館)を建設し、その店舗を見た忠次郎は、自分も立派な店舗を建てようと決意し、この忠次郎蔵を建設したのです。
その後も忠次郎は商売を発展させ、行田足袋原料問屋組合の役員を務めるようになり、株、新田開発、競走馬の馬主等、多彩な活動を続け、昭和44年に81歳で人生に幕を下ろしました。
- 忠次郎蔵棟上げ
- 当時の小川忠次郎商店